旧優生保護法 強制不妊 仙台高裁できょう2審判決

旧優生保護法に基づいて不妊手術を強制された知的障害がある宮城県の60代の女性が、子どもを産み育てる権利を奪われたなどと訴えて、5年前、国に賠償を求める裁判を仙台地方裁判所に初めて起こし、その後、70代の女性も原告に加わりました。

この提訴をきっかけに、同様の裁判が全国に広がりました。

仙台での裁判は、1審が提訴の翌年、旧優生保護法は憲法に違反するという判断を示しながらも、手術から20年が過ぎ、賠償請求権が消滅しているとして訴えを退けました。

その後、各地の裁判所でも、時間の経過を理由に原告の敗訴が続きましたが、去年、大阪高裁が初めて国の賠償責任を認めて以降、司法判断の流れが変わり、これまでに訴えを認める判決が7件出ています。

こうした中、仙台の裁判について、2審の仙台高等裁判所が、1日午後3時に判決を言い渡します。

司法による救済を求める先駆けとなった裁判で、どのような判断が示されるのか注目されます。

判決を前に 原告「いい判決であってほしい」

宮城県内に住む原告の飯塚淳子さん(仮名・77)は、16歳のとき、軽い知的障害があるとして、何も知らされないまま不妊手術を受けさせられました。

両親の会話で手術を受けたことを知り、子どもが産める体に戻してもらえないかと病院に相談にも行きましたが、医者から無理だと言われ、結婚もしましたが、不妊手術のことを打ち明けると、夫は家を出て行ったといいます。

その後、障害はないと診断されましたが、手術の影響で心身の不調に苦しみ、やりたかった介護の仕事に就くこともできませんでした。

国に謝罪と補償を求めるため、20年以上にわたって被害を訴えてきましたが、当初は手術の資料が廃棄されていたため、裁判を起こすことができませんでした。

しかし、5年前に宮城県の60代の女性が全国で初めて提訴したことをきっかけに、県から手術を受けたと認められて、この女性の裁判にみずからも原告として加わりました。

1日の判決を前に、飯塚さんは「いい判決であってほしいです。賠償が請求できる期間がどうとかは、ずっと苦しい思いをしてきた私たちにとっては関係ありません。人生がもとに戻るわけではありませんが、手術を受けなければ幸せがたくさんあったと思うので、国にはしっかりと謝罪をしてもらいたいです」と話していました。

また、最初に提訴した60代の女性の義理の姉は「いまは、各地で勝訴判決が続いていて、逆転勝訴を望んでいます。仙台で始まった裁判なので、仙台で終わらせたいという思いです。障害者差別がなくなるように、国には過去を反省してもらい、二度と同じようなことが繰り返されないようにしてほしいです」と話していました。