亡き父の一周忌を迎えた。青年期を疎開先の岩手県で過ごした父は、終戦後、3つの大学を卒業し、特殊教育一筋にその生涯をささげた。趣味が「勉強すること」と、公言してはばからない超真面目な性格で、私の幼少期の父の思い出といえば、両袖机に腰掛け、銀色の替え芯のペンを時折、インク瓶につけて原稿用紙に書き物をしている姿である。
退職後、父にせがまれワープロをプレゼントしたのだが、その日からペンをキーボードに替え、慣れぬ手つきで原稿の入力を始めた。取り組んだのは「自分の終わり方」である。「終活」という言葉がまだない時代に自分の「葬儀実施計画書」の作成に着手したのである。
将来、病床に伏せることを想定し、入院から一周忌までの間に私がすべき諸手続などについて子細にしたためられており、80ページにわたる大作は見事というほかない。自身亡き後も「あとは頼んだ。しっかり家を守っていってくれ」と言わんばかりに私を導いてくれたのである。
そればかりか父の死は、4歳のひ孫にとっても「人がこの世からいなくなること」を知らしめてくれた。これまで良き遊び相手であったじぃじが冷たくなり、花に囲まれ、突然家からいなくなった衝撃は計り知れないものがあるに違いない。父は死しても生涯教育者であったのである。法要ではそんな話に花が咲き、皆が笑顔になれたのも父の教えに違いない。
坂本晃(65) 大阪府岸和田市