『完全版 十字路が見える』(全4巻)北方謙三著(岩波書店・各3080円)
ここ3カ月、1日数編までと定めて、極上の美酒を舐(な)めるように、この4巻のエッセー集を読んできた。最終巻が終わって、いいようのない空虚さに襲われている。人生の兄貴と仰いだ人が、いきなりふいと姿を消してしまったような、それは深い喪失感なのだ。
『十字路が見える』は、開高健以来、日本文学の得た最高のエッセー集だと私は信じている。
北方謙三という稀有(けう)の個性が、その天職である小説的虚構を脇に置いて、自分の人生の過去と現在をじかに語っているのだ。
まずは散歩の話題から始まる。日常の息抜きの話だ。ところがこれがすでにスリリングな深みを湛(たた)えている。同行する犬という友へのまなざし。柔道の試合で投げ飛ばされた50年前のトラウマの記憶。老いを迎えた現在の肉体への意識。
そして、いきなりくり出される「君」という読者への語りかけ。この「君」にがつんとやられた。読者はまるで自分だけに北方謙三が人生の秘奥を語ってくれているように思えてしまうのである。
この連続大河エッセーを書いたとき、作者は66歳から74歳だった。読者の私は7歳下。見事にはまってしまった。
それにしても、ここにくり広げられる話題の豊かさはどうだろう。世界各地の旅や、三浦半島の海辺に基地をもち、そこから船を出すトローリングや深海釣り、そして、釣った獲物をあらゆる技を用いて食らう話。外車も暴走させる。さらに、ナイフを研ぎ、パイプを作り、万年筆に凝る話などは、開高健の塁を摩する。いや、開高流の美文で装わないぶん、散文本来の剛直な力強さにしびれる。
病気やけが、毒に居合抜きに喧嘩(けんか)の話も凄まじい。
人物描写も多彩で、大沢新宿鮫(在昌)など絶妙の喜劇的脇役だし、宍戸錠を語った1章は最上の肖像画として残る。人の死をこんなにさらりと語って、余韻嫋々(じょうじょう)の書物も稀(まれ)である。

『49冊のアンアン』 椎根和著(フリースタイル・2200円)
1970(昭和45)年創刊の「アンアン」はファッション雑誌の革命だった。編集に携わった椎根和は、写真とは現実を写すものではなく、「アンアン」に載った写真が現実になったのだ、と発想を転換させる。その結果、70年代初めの日本文化の地殻変動がこの上なく鮮やかに捉えられた。面白いエピソードもてんこ盛りに、時代の熱気を伝える。
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<ちゅうじょう・しょうへい> 昭和29年、神奈川県生まれ。パリ大学博士。著書に『反=近代文学史』『恋愛書簡術』、翻訳にジッド『狭き門』など多数。