陸自ヘリ事故1カ月 「日本にとって必要だった」 坂本雄一前師団長悼む

陸上自衛隊第8師団の坂本雄一前師団長=3月、熊本市(熊本日日新聞社提供)

沖縄県宮古島付近の陸上自衛隊UH60JAヘリコプター事故で死亡した第8師団の坂本雄一前師団長(55)は学生時代から責任感の強いリーダーとして慕われていた。交流のあった関係者からは改めて坂本前師団長を悼む声が聞かれた。事故発生から、6日で1カ月となった。

坂本前師団長は北海道旭川市出身。旭川東高校で同学年だった市職員、坂本考生(こうせい)さん(56)は「正義感があり、男らしい性格だった」と振り返る。

坂本前師団長は3年で応援団長を務めていたといい、夏の高校野球の大会で声を張り上げる姿が印象に残っている。自衛隊員を志すと聞いたときには「彼らしいと思った」。

3月30日の第8師団長就任に際し、同学年の有志でお祝いの花を贈ったばかりだった。「乗っていたヘリで事故が起きるなんて…。まさか、という思い」。坂本さんは声を落とした。

「あれが最後になるとは」。坂本前師団長の前任地、第12旅団が拠点を置く群馬県榛東(しんとう)村の真塩卓村長は、3月29日に行われた離任式で交わした握手の感覚が忘れられない。「お世話になりました。これからも皆をよろしくお願いします」。坂本前師団長は真塩氏の元に駆け寄り、握手を求めたという。

在任中、村の関係者との交流会に参加することもあった。話し方、接し方、あらゆる態度から「律義さ、まじめさがにじみ出る人」。部下にも優しく丁寧に話しかける姿が記憶に残る。「彼は日本にとって必要な人だった」。真塩氏はそう語った。

「冷静沈着。自衛官に徹していた方だった」。群馬県防衛協会会長の町田錦一郎さん(79)も無念さをにじませる。3月22日、坂本前師団長は離任に当たり、町田さんの自宅へあいさつに訪れた。「新任地の西部方面は日本の防衛で最も大事なところ。ご本人もその重責に燃えていた」。町田さんは最後の姿を思い出す。「第8師団長に着任して早々に視察に出たのも、そうした思いからだったのだろう。将来の自衛隊の要になる方だった。痛恨の極みです」。町田さんは悔しさを口にした。

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