
ドーム状の天井にまたたく星を、リラックスしながら人々が眺める-。多くの人に愛されるプラネタリウムが今年10月、誕生から100周年を迎え、全国各地でイベントが開催される。誕生から14年後の1937(昭和12)年、プラネタリウムは日本に初めて導入され、その歴史は大阪の科学館から始まった。
ドームに映る星空
「一足早く、今夜の星空へご案内しましょう」
8月、大阪市立科学館(大阪市北区)のプラネタリウム。学芸員の言葉とともに、美しい星々が浮かび上がった。
「明るくて目立つ星は織姫星で、あと2つの目印になる星をつないで夏の大三角形を作ります。目立つ星ですから、街の中でもばっちり3つ分かると思います」。学芸員の解説を聞きながら、人々は夢中で見つめた。
祖父母と一緒に訪れた横浜市の小学1年、三平航太朗君(6)は「星座がすごくきれいで、土星の輪が氷の粒でできているという話が印象に残った」と満面の笑み。祖母の西山美江子さん(68)=大阪府交野市=は「昔、子供を連れて見に来たときのことを思い出した。当時のプログラムは音楽まではっきり覚えている」と感慨深げだった。
「イエナの驚異」
明石市立天文科学館(兵庫県明石市)の井上毅館長によると、丸いドームの中央に設置された投影機から星を映し出す近代的なプラネタリウムは、ドイツで生まれた。最初のプラネタリウムはカールツァイス社(ドイツ・イエナ)によって製作され、1923年10月に初めて関係者向けに試験公開。25年5月にドイツ博物館で常設公開が始まると、「イエナの驚異」と反響を呼んだという。

初のプラネタリウムは「カールツァイスⅠ型」と呼ばれ、北半球の特定の緯度から見た空のみを投影。その後、世界中の空を映せるように改良されたⅡ型が登場した。このⅡ型が37年、日本初のプラネタリウムとして大阪市立電気科学館(現・大阪市立科学館)に設置されたのだった。
大阪市立科学館の嘉数次人(かず・つぐと)学芸課長によると、当時のドーム天井は直径18メートル、約9千の星を投影することができた。漫画家、手塚治虫さんが小学生の時に友達に連れられて訪れ、夢中になって通ったという。Ⅱ型は戦禍も乗り越え、89年の電気科学館閉館まで稼働していた。
宇宙への扉
関連施設などでつくる「日本プラネタリウム協議会」などでは、今年10月21日から25年5月7日を中心に、「プラネタリウム100周年」記念事業として、各地でイベントを開催する。

事業の実行委員長も務める井上館長は「この100年間で天文や宇宙の分野は大きく発展し、プラネタリウムはそれを市民が知る場所として機能し続けてきた」と説明。「これからも宇宙への扉になり続ける」と予想し、「100周年をきっかけに、それぞれが持つプラネタリウムの思い出をひもといてほしい」と目を輝かせた。
リアルさ追求、現役日本最古…個性豊か
日本プラネタリウム協議会のまとめでは、2023年7月時点で約300施設のプラネタリウムが稼働している。その数はアメリカに次いで世界2位ともいわれ、新型コロナウイルス禍前の18年度の観覧者数は延べ約889万人に上った。
学芸員の生解説やクリエーターによる映像作品、寝転がってみるユニークな企画など、各施設ではそれぞれに工夫を凝らしている。
設備や投影機もさまざまだ。明石市立天文科学館では、日本に初めて導入されたカールツァイスⅡ型によく似た東ドイツ製の投影機が、1960年の開館当初から現在まで稼働。現役の投影機としてはアジアで最も古く、中高年には懐かしさが感じられそうだ。

大阪市立科学館では日本製の投影機を用い、直径26・5メートルのドーム形スクリーンにリアルな星空を再現。学芸員がプログラムを企画し、ほぼアドリブで解説する。
このほか、世界最大級の直径35メートルのドームを擁する名古屋市科学館や、停泊する船の形の施設内で海上プラネタリウムを楽しめる「エル・マールまいづる」(京都府舞鶴市)、7億個を超える星を映しだせるとしてギネス世界記録に認定された「はまぎん こども宇宙科学館」(横浜市)など、魅力的な施設が全国にある。(前原彩希)