
福島の復興に欠かせない東京電力福島第1原発の「ALPS処理水」の海洋放出が8月24日から始まった。
処理水放出が科学的に問題ないことは、多くの専門家が論じている。しかし、科学的に問題はなくても、政治的に問題になることはあり得る。
科学的根拠のない流言飛語が横行すれば「『安全』と『安心』は別」とばかりに、反対の大合唱になりかねない。そうした心配が杞憂に終わったことに正直、安堵している。
日本国民は実に理性的、かつ冷静に処理水放出を受け止めた。
それどころか、中国による日本産水産物の全面禁輸や、いやがらせ電話、各種の〝情報戦〟に対して、多くの国民が毅然とした意思を示した。
だが、油断は禁物だ。中国政治の専門家によれば、中国には、1.不動産不況や失業率悪化などの国内の不満をガス抜きし、批判の矛先を日本に向ける2.日中間の外交問題で日本側に譲歩を迫るカードを得る―意図があったのではないかと分析している。
筆者は、靖国神社への要人の公式参拝を中国が外交カード化した「靖国問題」を長年にわたりウオッチしてきた。全く同じ構図が、今回の処理水騒動でも見て取れるのだ。
経験に即して言えば、「国論の乱れ」は、相手につけ入る隙を与えかねない。その観点から懸念するのが、全国紙の朝日、毎日両紙が「岸田文雄首相批判」の形を借りて、処理水放出に疑問を呈したことだ。
朝日新聞は8月23日の社説で「政府と東電は8年前に『関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分も行わない』と福島県漁連に約束した」経緯をあげたうえで、同漁連側が「反対に変わりがない」と述べたことを指摘し、「政府が約束を果たしたとはいえない」と主張した。
毎日新聞も同日の社説で、「国民の声に耳を傾け、丁寧に合意形成を図るのが、政治の役割だ」と、岸田首相や政府の努力不足を批判した。
確かに、風評被害の可能性は残っているし、それがゆえの反対論もある。しかし、「事実」を正しく報道して、風評被害の元となる流言飛語を防ぐのは、メディアの最も重要な役割ではないのか。
自らの責任を棚に上げ、首相や政府の責任ばかりを追及するのは「ためにする議論」の印象を禁じ得ない。残念ながら、この種の論調は両紙に限らず、地方紙やインターネット上でも数多く見られる。
こうした状態が続けば、いつの間にか、「岸田首相のせいで国民の理解が得られなかった。ここはいったん立ち止まって考え直すべきではないか」といった世論に変質していく恐れは否定できない。
まさに中国の思うつぼではないか。
もちろん言論の自由は大切だ。それだからこそ、メディアの役割はより重要なのだ。健全な世論形成に資する正しい報道、論調を望みたい。
(政治評論家)
伊藤達美「ニュース裏表」(zakzak)